手話をはじめて良かったこと。tomoの場合。

手話を手で学びはじめてもうすぐ2年。。tomoです


手話をはじめて良かったなぁ、って感じることを、ぼんやりと考え、徒然なるままに、書いてみました。。。



①沈黙が怖くなくなった。


手話には音がないから、しーーん……が当たり前。そこから、クスッとか、あぁなるほど~、イラっ、しゅん、、が生まれる。

その感情の生まれ方が私に合ってる。

音のある世界しか知らなかった頃は、沈黙になると、無理に言葉を探したりして「無」を埋めることだけに焦ってた。そのせいで、自分の感情が沈黙していた。

沈黙=何かしなくちゃ・何か言わなきゃ

の公式が、今はぼんやりとして消えそうだ。



②うまく言えなくても平気。


頭の中で考える日本語を、手話に変換して言う。語彙数が違いすぎて、まったく違う意味になることがある。

その前に、わたしは、母語の日本語でさえ、うまく言い表せないのが常日ごろ。手話でうまく言えないのは当然といえば、当然。。

というわけで開き直って、小指をあごに当てて「ま、いっか」とポジティブに諦める方法を覚えた。



③うまく伝わってなくても平気。


ろう者みたいな手話が使えたらもっとスムーズに意思疎通できるのかなぁ、、

通訳士のような通訳が出来たら、音声言語をより正しく伝えられるのかなぁ、、、

という頭の妄想は、未だに消えることはない。

でも、たとえ正しい表現や通訳が出来たところで、相手の受け取り方は人によって違う。ということを覚えた。

私は思いつく言葉や聞こえた言葉を何も考えずに手を動かすだけ。もし誤解して受け取られたとしたら、私の手話が間違ってる場合も、相手の受け取り方が間違っている場合も、どちらの可能性もある。私だけのせいじゃない。だから、結局、「ま、いっか」となる。



④わからない世界は分からないまま。

中学のとき理科の授業で、直列回路・並列回路というのを習った。

例えて言うなら、私はずっと直列回路的考え方で物事を捉えてきたし、その方法をみんな使ってるものだと思ってきた。

けれどもosu氏は並列回路的考え方だった。私が想像しても理解できない回路だった。

それがなぜだか分からない。説明もできない。説明を聞いても分からない。

言い換えれば、私には結局tomo回路でしか考えられないし、発するときも受け取るときもその回路を使うしか方法がない。いくらosu回路で考えたいと思っても、無理なのだ。

ろう者の世界を理解したくて、色々な文献を読んだけど、結局は聴者の脳でしか捉えられないし考えられないから、「へぇーそんな世界もあるんだな、私の頭では理解しきれないけれど」となる。あきらめる、とは違う、ふーんなるほどねぇ的な、放置。

これも例え。

古いギャグだけど、「カトちゃん・ぺ」と言って鼻の下に人差し指と中指を置いて「ぺ」とするのは、(知ってる人は)あーあれねって想像できる。

でも、財布のお金が足りないときに、親指をあごの下に当てて「ぺ」って言うのは、2年前の私には想像できなかったことだ。

それを感覚として使ってるろう者の世界を、前よりは知ってるかもしれないけれど、分かるとは違う。これからもずっとわからないままなのだろう。

分かろうとして、無理やりにこじ開けても、混乱するだけなので、分からないままで、やっぱり、「ま、いっか」ということに。



以上。思いつくまま。

足りなくても、わからなくても、そのままで良いのか、というポジティブな放置力を身につけたのかもしれない。

これは手話の効力なのか、osu氏の教える手話術なのか、それは知らないけれど、

手話にもosu氏にも、とても感謝している。



コミュニケーションって

言葉を正しくキャッチボールするのではなくて、ちぐはぐでもトンチンカンでも成り立ってるものなんだな、と感じます。

世の中には言葉で表現できないことの方が多いってことを知りながら、ポジティブに諦めながら、手を動かし続けていきたいです。



tomo

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この記事を書いた人

signart
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むらたです。
「個性のある表現を磨いて豊かにする」がモットーです。
手話とろう者についての有益のある情報を提供しており、手話指導や手話などのカウンセリングとサポートをしています。

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