tomoが手話の扉を開けたキッカケ②

もう一つのキッカケ、というか、もうこれはずっと抱え続けていた問題解決の糸口。

子供のころから、学校で行われる聴力検査に、たびたび引っかかっていた。
あの検査が嫌いだった。
[ad#ad-1]
すごく緊張するし、集中していないと音が逃げていってしまうような気がして、神経を研ぎ澄ませていないといけなかったから。

私は、難聴者ではないけれど「聞こえにくい人」なのです。
そのことって自覚しにくいし、もし自覚をしていてもうまく表現できないんです。
 
聞こえない時、聞こえたような聞こえてないようなフリして、へらへらニコニコすることが多くなり、そのハテナスマイルがコミュニケーションをスムーズにするための独自のツールになってしまった。
 
難聴者とろう者のボーダーラインは難しい、とosuは言う。
と同じように、聞こえにくい人と難聴者の違いも分かりくい、とおもう。
難聴者は、言い換えると、聞こえにくい人、となる。
私はもう難聴者と言ってもいいのかな。。
わかりません。。
そもそも、それって誰が決めるの?障害者手帳もってるか持ってないか??
 
 
ところで、難聴者の聞こえ方って人それぞれです。
ザワザワしたところでの聞き取りが難しい人、男の人の低い声が苦手な人、高いトーンが苦手な人。
私は天井の高い広い空間での声の聞き取りが苦手です。
小さなささやき声はもちろん、高い声や空気に溶けるような声は聞こえない。
いつも音が空間に吸い込まれていくような感じがします。
 
みんなには聞こえてる音が、自分には届かない、届いても言葉となって伝わらないから、理解できない、、なぜみんな笑ってるの?分からない、でも流れを止めちゃ悪いし、なんで?って聞けない。。
 
これは難聴者の不安とストレスなのです。
 
ろう者と難聴者って、似てるようでほんとに違う感覚を持っています。
 
私はまだ難聴者とはっきり言える人ではないかもしれない。
でも年々聴力は落ちていると感じるし、将来、障害者手帳取得可能レベルの難聴者になるかもしれない、ろう者になるかもしれない。
 
そのときに、聞こえないストレスで世界が真っ暗になる位なら、もう、今から手話を覚えていたら良いかも!
と思って、手話の道へ一歩踏み入れたのです。
 
手話は意外にも楽しくて、
目で見るコミュニケーションの世界も豊かで鮮やかなことを知り、
聞こえないというストレスから解放されました。
 
聞こえない音を無理に聞こうとして神経を使うことはなくなりました。
だってどんなに頑張っても聞こえないものは聞こえないんだもん。
 
いつか、おじいさんやおばあさんになるのは、みんな一緒。
目も老眼になって見えにくくなるし、耳も遠くなるし、体も心もあちこちくたびれてくる。
 
そのときに、そのことをポジティブに受け入れられるようになる方法があるかもしれない、、
 
手話を学びはじめて、そういう考え方になりました。
 
障害や怪我、病や老いを恐れるのではなく、
もしそうなっても、まぁ違う方法あるし、何とかなるかな♫くらいの感じがいいなと思います。
 
私は、これから聴力は落ちていくかもしれなけれども、その代わりに手話力が上がっていけば、難聴者やろう者との気持ちが共有でき、新しい仲間や世界が広がると思う。
そうやって考え方をシフトチェンジすれば、むしろワクワクします。
 
今、自分が見てる世界が全てではないよなー、ってことを、実感しつつある、
手話1年生のtomoでした。。
 
 
tomo
 

コメントを残す